その頃の二人


私鉄の小さな駅を出て10分も歩くと、こじんまりとした二階建てのそのアパートに着く。
階段を駆け上がって息を弾ませながら三和が玄関の扉を開けると、奥から櫂が顔を覗かせて「帰ったか」と言った。

大学生である三和タイシが住んでいるそこは、玄関を入るとすぐキッチンとバストイレ、その奥に洋室一間というごく一般的な学生向けのアパートだ。玄関から部屋までほんの数歩だというのに、律儀に迎えに出てきた櫂は、三和の髪のにおいをかいで軽く眉をしかめた。
「しょーがねえだろ〜焼肉食ったんだからさ。あーあ服にもニオイついちゃってんな」
その日は三和のバイト先であるカードキャピタル1号店でショップ大会が開かれ、終わった後でカムイたち後輩を連れて焼肉に行くはめになったことは、櫂にも連絡してあった。
「まったくあいつら、ちっとは遠慮しろっつーの。オレあんまり食ってないんだよなー。すぐハラ減りそ」
軽くこぼしながら上着を脱いで洗濯機に放り込む。同居人に気をつかって歯も磨くことにする。
「ふぁい、風呂入った?」
「まだだ」
「先に入っへくれよ」
家主の指示に櫂は素直に従う。風呂場は狭く男2人が同時に入るのはもちろん無理なので、交代で入るしかない。
脱衣所もないので、タオルと着替えを入れたバスケットを渡して、三和はキッチンとリビング兼寝室の間の戸を閉める。
服を脱ぐ途中で手か足をぶつけたのか、悪態をつく櫂の声がドア越しに聞こえた。
「わりぃな狭くって」
声をかけると返事ともつかない唸り声が返ってきて浴室のドアがパタンと閉まる音がした。
「だから、こんなボロアパートに泊まらなくてもさ」と、櫂が来てから何度目かわからない独り言がもれる。
高校卒業後フランスに渡りユーロリーグに所属するプロのヴァンガードファイターとなった櫂トシキは、現在もパリを拠点としている。今、日本にいるのは同級生であり盟友の伊吹コウジの呼びかけに応え、彼の「プランG」に協力するためだ。
それにしたって、トップクラスのプロファイターとしてけっこう稼いでいるらしい櫂ならもっと広く快適な場所に泊まる余裕はあるだろうし、表向きはGクエストのゲストとして呼ばれたのだからヴァンガード普及協会の方で用意してくれたホテルもあったというのに。

どうせお前に会いに行くんだ。移動がムダだ。時間が惜しい。

ドラエン支部のGクエストが開催された直後に、そう言って三和の部屋に移ってきた。
今日のように帰宅すると櫂が迎えてくれる日もあり、この部屋に櫂がいるのが当たり前のような感覚になりつつある。
それは錯覚だって、自分に言い聞かせているけれど。


「あがったぞ」
「早っ。いつも思うけどさ、ちゃんと洗ってんの」
「洗っている」
櫂と交代でばたばたと風呂に入る。三和の方は湯船にゆっくりつかりたい派だし、今日は髪の毛を念入りに洗ったのでいつも以上に時間がかかった。 風呂からあがって部屋の方を見ると、櫂はローテーブルでノートパソコンを開いていた。
「あ〜やっぱ腹へってきた」
「何か簡単なものを作ってやろうか」
同居しはじめてから、料理は主に櫂の担当になっている。
「いーよいーよ、クッキーがあった」
買い置きのクッキーの箱を見つけて、ついでにコーヒーを淹れることにする。自分のカフェオレ(砂糖たっぷり)と櫂のブラックとマグカップを両手に持ってクッキーの箱を脇に抱え1枚口にくわえながらリビングに入る。
             マグカップを置きながら櫂の肩越しにノーパソの画面をちらと覗くと、フランス語のサイトだった。何か調べ物をしているらしい。
三和の方も自分のスマホを手にとってチェックする。クッキーを食べてしまうとテーブル脇にあるベッドでごろごろしながらSNSを巡回して書き込みをしたりゲームをしたり。ちなみにベッドはシングルなので、もう一組、実家から借りてきた布団が部屋の隅にたたんで置いてあるのだが、結局あんまり…使ってないかも。
「ショップ大会はどうだった」と櫂がパソコンを閉じて聞いてきたので、起き上がってベッドに腰掛けると、新導クロノが優勝したことやファイト内容などを思いだしながら説明してやる。
「ま、本番は閉店後のシンさんと新導クロノのファイトだけどな。本気モードのシンさんのファイト、見たかったぜー」
話を聞いている間もずっと、櫂がなんだか難しい顔をしているので、
「そんな心配しなくても、あいつらは大丈夫だと思うぜ?」
「心配はしてない。まだ先は長いと思っただけだ」
言葉を切って、黙り込む。何か考え事を始めたのかと三和がまたスマホに手を伸ばしかけると、櫂は立ち上がって、三和の隣に腰を下ろした。
「オレは一度向こうに戻る。どうしても電話とネットだけでは片付かない用事が溜まっていてな」
「えっ……」
プランGが終われば櫂はフランスに帰ってしまう、それについては心の準備をしていたつもりだったが、突然のことに顔がこわばるのが自分でわかった。
「……そ、そうだよな!シーズンオフって言ったっていろいろあるよな!」
むりやりに笑顔をつくる。頑張れオレの表情筋。
櫂の手が三和の頬にふれた。
「そんな顔をするな。用を片付けたらまたここに帰ってくる。ヨーロッパの協力者達の状況も見てきてほしいと伊吹に頼まれているしな」
「あ…」
突然、出立を告げられた動揺とさらにそれを櫂に悟られてしまった動揺と、大事な計画の最中に個人的感情を持ち込んでしまっていることへの後ろめたさがごっちゃになって、混乱した三和の口からは思いがけず強い言葉が飛び出した。
「べつに…櫂がいきなり来ていきなりいなくなるのなんて、慣れっこだしっ」
口に出した瞬間にやべぇ言い過ぎた、と思ったがもう遅い。
三和と櫂は、何の約束もしたことがない。日本とフランスに離れて暮らしているこの数年、櫂が突然日本に現れて三和を訪れるというのが再会のパターンになっていた。「もっと早く連絡しろよ」といいながら三和が笑顔で迎える。別れるときにも「次はいつ会える?」とは訊かず、ただ「またな」という。
それ以上のことを望んでるつもりなんてない。なのに、なんでこんなことを言っちまったんだろう。
隣にいる櫂の横顔をおそるおそる見る。
いきなり櫂の腕が回されたと思うと、ベッドに押し倒された。仰向けになり目を見張る三和の顔を上からのぞき込んで、
「可愛くないことを言う口だな」
言うなり、唇をふさがれた。いきなり歯列を割られ舌が差し込まれる。目を閉じてされるままに荒っぽいくちづけを受けていたが
「んんっ…ん」
息苦しくなって櫂の肩をぱたぱたと叩くと、離れて、今度は三和の肩に顔をうずめた。
耳元でくぐもった櫂の声が
「少しは寂しがってくれ。でないと、お前を置いていくのが心配でたまらない」
寂しいよいつだって。でもそんなことを言って櫂を引き留めるようなことはしたくない。そんな三和の気持ちに櫂もおそらく気付いている。それでもオレは笑ってお前を送り出したいんだ…。なんだろうな、自分も相当な意地っ張りだよなぁと思う。
返事はせず、ただ、背中に腕をまわしてぎゅっと櫂を抱きしめた。

「あー、櫂?」
三和の体をまさぐる手は止めず、やや上の空で「なんだ」と答える。
「中学生のトライスリーが明神リューズの野望からヴァンガードと世界を救うために頑張ってるのに、二十歳のおっさんのオレらはこんなことやってていいのかな」
「それはそれ、これはこれだ」



2016.3.20


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