ナミダ
はらはらと散り続ける花びらが、涙のようだと。
なぜ、そんな風に思ったんだろう。
「三和くん!」
アイチの呼び声に、前を行く金髪頭がゆっくりと振り向いた。
薄曇りの空模様。桜並木は花の盛りを過ぎて、落ちた花びらが歩道に降り積もっている。その歩道を駆けてアイチは立ち止まった三和タイシに追いついた。
「よう、アイチ。お前もこれからカード・キャピタル行く?」
いつものように屈託ない笑顔を前にして、アイチは一瞬言葉を見失う。Tシャツの上に明るい色のパーカーといういつものスタイルの三和は、おだやかに自分を呼び止めた少年が口を開くのを待っている。春休みの午後、風はあたたかく、近くの公園からは遊ぶ子供達の声が聞こえてくる。
つと、三和の手が向き合ったアイチの頭にのびて、髪についた桜の花びらをつまみとった。
「こないだ満開になったと思ったのに、早えーよな。桜が散るのって」
その三和の手をすがりつくように掴み、アイチはようやく言葉をはき出した。
「さっき、空港から戻ってきたんです、今日は…」
「ああ、櫂の出発の日だな」
「知ってたんですか。それじゃどうして…三和くんはどうして見送りに来なかったんですか!?」
三和は答えずにしばし空を仰いで、それからアイチの真剣なまなざしに出会うと、少し困ったような笑顔で
「立ち話もなんだし?」
と、公園のほうを指さした。
その日、ヴァンガードのプロファイターとなるため渡仏する櫂トシキを見送りに、アイチは空港へ駆けつけた。空港には同じく見送りに大勢がつめかけていた。ミサキやカムイ、石田ナオキ、雀ヶ森レンとFFの面々、後江高校のカード部員達。ヴァンガードを通じて櫂と関わり、絆を深めていった仲間達。その1人1人と櫂は丁寧に言葉をかわしていた。海外での新生活への期待も不安も顔にはみせず、ただ静かな闘志はにじませていた。
やっぱり櫂くんはすごいな…そんなことを考えながら、ふとアイチは違和感を覚えた。こんな場で、いつもなら櫂のそばにいるはずの人物がいない。その時、空気を読むなどという言葉とは無縁の男、森川が「なんで三和のヤツは来てねーんだ」と言いだしたのだ。
「そうしたら、櫂くんが言ったんです。いいんだアイツとの別れはもう済ませた、って」
「そっか」
子供達や親子連れで賑わっている公園の片隅のベンチに並んで腰をおろして、アイチの話を聞いた三和は短くそう答えただけだった。
「三和くん…」
なんだか自分一人が空回りしているようにも感じる。でも…確かめずにいられない。
「こんな…こんなこと訊くの、すごく失礼かもしれないですけど……」
膝の上でぎゅっと手を握る。
「『別れ』ちゃったんですか。櫂くんと」
櫂と三和が友人以上の関係であることを知っている、アイチは数少ない一人だった。
大切な仲間である彼らが幸せになってほしいと願ってきたし、まだ恋人のいないアイチにとって、二人の関係は少々刺激的でまぶしいものでもあった。
それが、こんなにあっさり壊れてしまうなんて、そんなことがあるんだろうか。
俯いてしまった年下の友人に、三和は優しく声をかけた。
「心配かけちまって、すまねぇな」
視線を遠くにさまよわせながら、考え考えまた言葉を継ぐ。
「あー、櫂のヤツがさ、直前になってオレに一緒に来いって言いだしたんだよ」
「櫂くんが? 一緒ってフランスにってことですか」
意外な話にアイチは驚いて顔を上げた。
「うん。最初は卒業旅行的なことかと思ったんだよ。櫂が行くときにくっついてって、あっちの様子を見て、ついでに観光して帰ってくりゃいいやって。そしたらそうじゃなくて。あっちで一緒に暮らそうって事だって。」
ため息をついて、
「まったく、何考えてんだかな。いきなりそんなこと言われても無理だっつの。だからオレは行かないって答えた」
確か三和は都内の大学へ入学が決まっていたはずだ。櫂と三和が卒業後、別々の道に進むと知った時には驚いたが、傍目には互いの選択を尊重して応援しあっているように見えた。だが、そんな簡単な話ではなかったらしい。
「アイツがそれを「別れた」と思ってるなら、それはそれで仕方ねぇかな」
淡々とした口調に、アイチの方が思わず感情的な声になる。
「そんな…なんでそんなにあっさり言えるんですか!?」
「あっさり、ってわけでもねぇんだけどなぁ」
苦笑混じりに言うと、三和は口をつぐみ、曇り空を見上げた。
会話が途切れたまま、並んで座るベンチのまわりに、時折風が舞い散る桜の花片を運んでくる。
三和はめったに自分の本心を語らない。そんな彼の本音を聞き出そうなんて不器用な自分には無理だったんだ……そんな風にアイチが思い始めた時、
「刷り込み、ってあるじゃん」
三和がぽつり、と語り出した。
急に変わった話題に戸惑いながら、アイチはその単語に関する記憶をたぐる。
「ええと、鳥のヒナが卵から孵って最初に見た動くものを親だと思うっていう、あれですか?」
「そうそう、櫂がオレに執着すんのも、そんな感じじゃねーかなって思ってんだよ」
「櫂くんが…?」
「最初に櫂に好きだ、って言ったのがオレだったから」
櫂と三和の関係が親友から恋人に変わった事情を、アイチは多少知っていたが、三和自身がこんな風に自分と櫂のことを語るのを聞くのは初めてだ。目を見開いてじっと聞き入る。
「アイツさ、ふつう色気づいてくるような年のころに親と死に別れて親戚の家を転々としてたり、色々あっただろ。恋愛とか考えたこともなかったらしい。
だからさ、初めて好きだって言ってきた相手を、そのまま好きになっちまったんだよ」
「だから別にオレじゃなくても、例えばさ、アイチお前が先に櫂に告白してれば、お前を好きになってたと思うぜ」
「ええっ、僕……!?」突然、話の矛先が自分に向いてアイチは面食らった。僕が櫂くんと……うっかり想像しかけて、どぎまぎする。
頭をぶんぶん振っているアイチを見て、三和はわりぃわりぃと手をひらひらさせた。
「例えばの話だって。変なこと言っちまってごめん。まあ…そんくらいのことなんだよ。
アイツ、性格はあれだけど顔はいいから女子に人気あったのにな。なーんでこうなったんだかな」
冗談めかした物言いのあと、少し間を置いて、低い静かな声になって、
「でも鳥のヒナだって、いずれオトナになって親離れするだろ?
櫂も、いっぺんオレから離れたら本当の気持ちに気付くかもしれない。ていうか、そうなった方がいいんだよ」
「そんな……」
何と答えていいのか、アイチにはわからなかった。自分じゃなくても…って、どうしてそんな風に言えるんだろう。三和くんはどうして恋人と離れた方がいいなんて思えるんだろう。それとももう櫂くんを好きじゃないのかな。まるで得心がいかないまま、隣に座っている三和の横顔を見る。
はっと気付いた。
三和くんはずっと空ばかり見てる。
空…空港…飛行機…。櫂を見送った時に空港で見た離陸する飛行機のイメージがアイチの脳裏に閃いた。
三和くんは、どこか遠くの、櫂くんの乗った飛行機が飛んでいる空を見ているんだ。
ざっと強い風が吹いて木々を揺らし、花びらをまき散らした。
空が少し暗くなったようで、公園の親子連れも雨が降り出すのを心配してそろそろ帰り始めている。
「オレ、もう行くわ」
物思いから覚めたように、三和が立ち上がった。あわててアイチも立ち上がる。
「なーんか変なハナシしちまったけど、聞いてくれてサンキュな」
その声もアイチに向ける表情も、いつもの三和に戻っている。その飄々とした態度からは三和が抱えている思いをうかがうことはできない。
「いえ、僕のほうこそすみませんでした」
ぺこりと頭を下げる。ついさっき、気付いたこと、三和が変わらずに櫂を思っているという認識と、その三和が自分から櫂と離れようとしている事実、その二つは相変わらずアイチの中でうまく結びつかなくて、三和くんは本当にそれでいいの…? と、胸の中でぐるぐるするそんな言葉は、結局口にのぼることはなかった。
公園の出口で二人は別れた。
「じゃな」
軽く手を振って歩き出す。桜の花びらが、雨のようにはらはらと降りしきる桜並木を三和は歩いて行く。
桜が泣いているみたいだ。
三和の後ろ姿を見送りながら、ふいにそう思った。毎年この季節には散る桜を見てきたけど、そんなふうに思ったのは初めてだ。とても綺麗だけど、かなしいな……僕の勝手なイメージかもしれないけど。
天気の方は、降り出しそうで降らない微妙な空模様のままだ。それでも早めに帰った方がよさそうだと、アイチも家の方角に向かって歩き出す。一度だけ振り返ってみたけれど、三和の姿はもう見えず、花だけが降り続けていた。
2015.4.25
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