眠れぬ夜
明るく賑やかな本人の印象とは裏腹に、三和は体温が低く抱き寄せるといつも少し冷んやりしていた。
「朝食をちゃんと取らないから体温が上がらないんだ。」
そう小言を言うと、「だってさー、朝は1分でも長く寝てたいじゃん」と悪びれない笑顔で三和が答える。そんなやり取りを何度しただろうか。「櫂にくっついてるとあったかくって気持ちいい」などと甘えてくることもあった。あいつは本当に調子がいい…。
寝返りをうつと、櫂トシキは暗闇の中でベッドサイドを探った。スマートフォンを手に取り時刻を見る。深夜といっていい時間だ。
おかしな時間に目が覚めてしまって寝付けないせいで、つまらないことばかり頭に浮かぶ、そう思った。遠征先の安宿のベッドは堅く寝心地がいいとはいえなかった。
時差のある日本ではいま朝の10時頃だろうか、電話かメールをすれば誰か話し相手がつかまるかもしれない。しかし、櫂はすぐにその考えを振り払った。眠って明日のファイトにそなえるべきだ。大体、何を話すというのか。高校を卒業してすぐに飛びこんだヨーロッパのプロリーグで、まだ思うように結果を残せていない苛立ちや焦りを誰かに打ち明けたいと思うような櫂ではなかった。
あいつは相変わらず、朝ぎりぎりまで寝ているのだろうか。この春から大学生になり、どんな生活をしているのか。あいつのことだからうまくやっているだろう。大勢の友人に囲まれて。自分などいなくても、いや、いない方が三和は充実した学生生活を送れているはずだ。
三月の、寒い日だった。
「オレは行かない。」
きっぱりと三和に告げられた。
三和が大学に進学すること、自分はそれとは別の道へ進むだろう事はずっと以前からわかっていたことだ。たとえ別々の道に進んだとしても自分たちの絆は変わらないとも信じていたはずだった。それなのに、いざ別れを目前にして身を切られるような実感がわいてきた時、初めて、櫂は動揺したのだ。離れたくない、一緒に来てほしい。そんなことを口走るほどに。
三和があの大学に合格するためにどれだけ努力したか知っていたはずだ。三和の家族がとても喜んでいることも。
それでも、自分が頼めば、三和は全てを捨ててでもついてきてくれる、心のどこかでそう思っていたのだ。なんという自惚れ。
そんな自惚れを打ち砕かれて愕然としていた櫂に、さらに追い打ちをかけた三和の言葉が脳裏によみがえる。
「櫂、お前そんな余裕あんのかよ。プロってさ、そんなに甘い世界じゃないんじゃねーの。」
返す言葉もなかった。
耐えきれずその場を立ち去ろうとした櫂の耳に最後に聞こえた、
「オレはさ、お前のお荷物になる気はねぇよ。」
泣きそうな小さな声。
結局、三和の方が俺をよくわかっていたな。
傷心をかかえたまま渡欧した櫂だったが、慣れない異国で一から生活の基盤を築き、プロのヴァンガードファイターとして自立するためには余計なことを考えている暇などなかった。ガイヤールのほかにもまだヨーロッパには強敵達がいて、自分の実力不足を痛感させられた。もっと、もっと強くならねば。ヴァンガード漬けの日々の中、気付けば三和のことを思い出すことさえまれになっていた。
こんな風に眠れない夜をのぞいては。
あの日は三月なのに、ひどく寒い日だった。
三和の身体は冷え切っていただろう。抱きしめて暖めてやりたかった。
「櫂はあったかいな」くすぐったいような三和の甘え声を思い出す。
一緒に眠った後にふと目覚めて、ふれあった肌が同じ温度になっているのを感じてまた眠りについた、そんな時に胸を満たしていた安らかであたたかな思い。あれが幸福感というものだったのだろう。
くだらない感傷だ。冷たいシーツの上で転々と寝返りをうち櫂はそんな記憶を振り払おうとした。明日の朝になれば、また自分は忘れているだろう。また全身全霊ヴァンガードファイトのことだけを考える男に戻っているだろう。
だが夜はまだ長く、朝の訪れは遠かった。
2015.2.15
戻る